糠床ブログ

不定期

遠い未来、宇宙の何処かの話

Obsidianが開発したRPG、The Outer world(アウターワールドはフランス製のADVなのだがこの名称は日本だけである)を購入してクリアしたので感想を

まぁ、クセとバグのあるゲームには定評のあるチームの作品であり、今作も中々に厳しめのバグが存在していた(パッチ1.2が配布され解消された)

すごく雑に説明するとボダランみたいな見た目のFallout(InterPlay製)である

戦闘の調整は大味、アイテムの種類も少ない、スキンや衣装のガチャもないオールドスクールなゲームである

ただ、最近のRPGの流れに一石を投じる一作だと思う

 

最近のRPGにあるシステム要素と言えばオープンワールド、たくさんのアイテム、素材回収と作成、エンドコンテンツ・・・

実の所、これらの要素はスペック向上によるシンプルな拡大理論の産物と言えなくもない

これらの要素を入れればそれに比例してプレイ時間は延長していく(無視して遊ぶ人もいると思うが)

ゲーム好きのアニメ監督、押井守は著書『注文の多い傭兵たち』にてRPGとはシステムであると語っている

本文がかなり長いので意訳で申し訳ないが、RPG=システムであり、システムとはゲーム内のレベルアップ、新しい装備、それを試せる敵のサイクルであり超人願望の充足だと、GTAのようなゲームがシステムを拡張していったRPGだと言えると思う、もっと言えばFPSだってシステム型RPGとして捉える事ができる

そして、物語とシステムの相性は悪いとも

物語上における動機とプレイヤーの動機のアンビバレンツが起きる

RPGで、旅の目的など気にせず敵を狩り、アイテムを漁る内に自分が何をするのか忘れてしまうというのはよくある事だと思う

ダイアログを見れば、次の目的は分かるのだがそれは自分とは乖離していて、ゲームを進める為の要素でしかなくなっていて

あと少しでクリアなんだけどそのまま放置してしまった、という体験をした人も多少は居るのではないだろうか

これが、物語とシステムの乖離によるものだと押井守は分析している

乖離の差が小さい時、すなわちゲーム開始から序盤におけるRPGの面白さを、押井守ドラクエで例えて どうのつるぎの頃、と表現している

ただ、この本が書かれたのは90年代初頭であり、これには回答としてバイオショックが挙げられる、ゲームでしか出来ない素晴らしい物語体験を生み出し、GTAと同じく多くのゲームに影響を与えた作品である

(この本が出た2000年初頭、ゲームから離れていた押井守がFallout4にハマって連載記事を書くのだから世の中は分からない)

スペック向上により、かつては困難だった他ジャンル要素のミキシングのような作品を生み出す事が可能になった

あくまで個人の考えだが、システムと物語の噛み合わなさを更に分解していくと時間こそが最大の敵なのではないかと感じられる

長時間 遊べるように作るのと、物語を感じられるように作ると言う部分が乖離しているのではないだろうか

時間による被害を受けるものとして記憶、ひいては感動だ

どんなに素晴らしい物語であっても時間による分断には逆らう事はできない

会話であっても、テンポが少しズレただけで受け取る感情が変わってしまうのは

誰でも体験するものだと思う

120分の名作映画を1時間ずつに分けて1週間の間隔を空けて見れば全く感動しなくはないが体験としては鈍ったものになるだろう

 

受け手側が時間を管理できる芸術媒体となると、書物ぐらいだろうか

ひどく話が逸れたが、ここまでの文章もThe Outer Worldの評価を理解してもらうのに必要だったのだ

 

あくまで個人の感想だが、よく出来た小説みたいに期待しながらページをめくるような楽しさがあった、システムが物語を邪魔しないように注意している印象を受けた、アイテム数が少ないのも多分、ゲームデザインと作品世界の設定を重視してのものではないだろうか

(同じ効果のアイテムが各企業ごとに存在し、防具のデザインも同じで企業のイメージカラーの差でしかない)

どの人物も味付けと表現がよく、世界観が理解できていくのと同時に移動範囲が広がり、出てくる敵も登場人物もクセが強くなってくる

プレイヤーがゲームを進めるのに合わせて、物語が複雑さを増していく

ただ、一般的な物語の大枠が複雑になるのではなく、出てくる人間達の背景や立場を含めたバックストーリーの量が多くなるという意味での複雑さである

仲間になるキャラクターもストーリーが進むと情報量が増えて、最初の印象とは違った人物像を植え付けられていると思う、理解が進みディティールが深くなるというゲームでは難しかったアプローチに挑んでいる

序盤ではよくあるパターンの人物に見えたキャラクターが、実はトンでもない奴だと分かったり、トンでもない奴に思えていた人物がとても高潔だったりする世界なのだ

それらが挿入されるムービーや、強制イベントではなく、会話の中や訪れた場所で体験の形で与えられる

(このゲームにもムービーシーンはあるがあくまでプレイ画面内で再現しにくいものの代替手段であり、演出としては控え目なものである)

プレイヤーと物語を乖離させるのではなく、不変の視点で与えられ続ける物語世界としてのRPG、純粋なRPGシステムでありながら物語との両立を目指した野心作であり真摯な回答だと感じた

既存の作品とは違う設計思想の下に作られながら、長らく望まれ続けたRPGに向かう第一歩、バイオショックGTAみたいに歴史に大きく名は残さないかもしれないが振り返った時に始点のひとつとして数えられるであろう作品である

ただ、そこまで注意して作られているからこそ、続きものの第一巻を読み終えたような気分になり、もう少しこの世界を体験したいと思った

そう思う人が少なくないようで、DLCの開発が決定しており、物語は延長する

 

そして何よりObsidianの姿勢と生み出したデザイン思想がRPGというジャンルに新しい考え方を広げてくれる事を願う