枇杷 一日にして生らず
X(旧:Twitter)でまとめきれないのでここに書く第六弾
それは小さな訂正からはじまった
まだ鼻っ柱の折れてない生意気な若造だった頃に、とある中世に関する本の和訳にビワとあって少しだけ英語の知識があった私は
コレはセイヨウカリン medlarを辞書でめくって出たビワ Japanese medlarを訳とした誤訳だよ
ビワとmedlarの不思議な縁を後になって知り、とても面白かったので簡単にまとめてみた
枇杷 真であり、真は美である
まずは枇杷の歴史についてから
中国南部起源と考えられているがかなり古い時期(弥生時代に種の出土がある) に日本に渡ってきて自生していたが実は小さく可食部は少なかった
記録としては最古のものは762年の正倉院文書であり、南北朝末期の往来物『庭訓往来』に枇杷の文字があり、日本最古の農書とされる『親民鑑月集』(1650年ごろ)に枇杷の収穫時期についての記述がある
しかし、これらの記録の枇杷は今、食べられているビワではない今のビワは海を渡ってきたのだ
江戸末期に長崎で女中奉公をしていた三浦シオが中国人通訳からもらった唐びわの種を植えた『茂木』で本格的な栽培は明治30年ごろと新しい
(この栽培地が茂木で品種名となった)
幕末から明治期の植物学者 田中芳夫が長崎で食べたビワの種から誕生した『田中』のふたつが交雑や枝変わりしながら品種を増やしていったと考えられている
ビワ業界では西の茂木、東の田中 と言うらしい
つまり、日本のビワは中国由来で長崎発祥となるがDNA検査により間違いなく唐びわ、つまり中国由来であることが証明された
この行ったり来たり、意外と広まったのが最近な枇杷の歴史は日本と中国だけではないのである
枇杷 細部に宿る
日本では中国からの種が広がりの起源であった一方で、西洋でのビワの広がり方も不思議な軌跡を描いている
ビワは日本と中国にしかないと思っていなかっただろうか?
実は地中海沿岸、つまりポルトガル、スペイン、イタリア、ギリシャの人たちもビワが大好きなのである面白いのは彼等が食べていたビワ品種のDNAは日本・中国の唐びわグループとは違う独自グループで
大航海時代に彼らが拠点を築いていた東南アジアか日本自生種のものを母国へと持ち帰ったものが起源ではないか
また東アジア人と西洋人の嗜好の違いによる選別が反映された結果だという知見もある
(現在はポルトガルでは栽培品種だと田中が多かったり変化している)
ちなみに英語ではビワはJapanese medlar以外にLoquatと呼ぶがこちらは広東語のビワを意味する蘆橘(lou gwat)を語源としている、これは英国ではビワは1787年に中国からキューガーデンに導入された為と考えられる
Japanese medlarという語はオクスフォード辞典では1866年に記載があるとされているが、根拠となっている著作 The treasury of botany: a popular dictionary of the vegetable kingdomを調べたが
Louquat Eriobotrya japonica とあるだけだった

これは学名でありerion(羊毛) botrys(ブドウの房)という木に生るビワ属の姿を表している
ではmedlarはどこから来たのか?
先述した大航海時代に導入した地中海沿岸部では nēspera(ポルトガル語)、nīsperpo(スペイン語)、nespola(イタリア語)と呼ばれ明らかに同じ言葉を語源としている
そしてその言葉こそがラテン語 mespilus で意味はセイヨウカリン medlarなのだ、当時のポルトガル人は見た目が似ていたので なんかセイヨウカリンっぽいやつ ぐらいの意味合いで名付けたと思われる
カボチャがメロンっぽいからpepo(メロン)って付けたのと同じである
そしてまた面倒なのが、このmedlarはマルメロと混同されていてGoogleくんも(マルメロ)と言っているが全く別の果実である

マルメロとは何だ?と思った人は前のエントリーで解説しているのでよければ読んで欲しい
金のリンゴとシドニアと騎士
https://nukad.hatenablog.com/entry/2024/08/07/160622

上の図はマルメロのボタニカルアートでカリンに近い
マルメロと同じくセイヨウカリンが何なのか自体も実に面白いが、私が説明するよりもずっと素晴らしい動画があるので興味があればこちらを是非みて欲しい
The FOROGOTTEN medieval fruit you need to know about
ちなみに、動画に出ている中世ガチ勢おじさんは近々DLCが出るゲーム Atomfallの開発 Rebellion のCEOである
痛みはいつか消えるが 枇杷 永遠に残る
若さゆえの驕りからはじまったビワとセイヨウカリンが実は歴史の中で重なっていたという面白い事実に行き当たったことや
地中海沿岸の人も5月ごろにはビワを楽しみにしていること、今やビワは世界中で栽培され食べられる果実で特にラテンアメリカやアフリカで好まれていたり
一方でイギリスやフランス、アメリカ合衆国では忘れ去られていたり、ビワの世界生産量は1位が中国で2位がスペイン、3位が日本だという事を知らなかったりと歴史やテキストの中には理解と共感や気づきに溢れている
かなり慌てたまとめになってしまったが、つまりはきっとビワ以外の物事も同じようなもので一杯なのだ
参考文献およびサイト
Loquat:Botany,Production and Uses A.Aytekin Polat,Sisir Mitra CABD 2022
The Loquat Is The Resault Of A Spiteful Plant Exchage Between 16th-Century Kings
Louquat? https://ucanr.edu/blog/topics-subtropics/article/loquats
日本へのビワ伝来の謎を紐解く! https://www.saga-u.ac.jp/koho/press/2022062325423
LOQUAT the heart thirlls https://theheartthrills.com/2019/05/29/loquats/
年表でたどる日本果物受容史 https://blog.goo.ne.jp/fruitcul
金のリンゴとシドニアと騎士
X(旧:Twitter)でまとめきれないのでここに書く第五弾
メロンと言う名のリンゴでありマーマレード
リンゴと言えば赤いバラ科の果物であり、マーマレードはオレンジである
そんなことは当たり前だが
どちらもかつては全く別のひとつの果実のものであった
その名をマルメロと言う、ポルトガル語でリンゴを意味する
カリンに似た果実で古代から中世にかけて果物として圧倒的な地位を築いたが
今ではその名や姿形、味や香りを知っている人間は少ない
その歴史と変遷、今を簡単にではあるがまとめてみた
マルメロの栽培はBC5000~3000年にはメソポタミアかコーカサス地方で始まったと考えられ、BC2000年までには古代バビロニアまで到達していた
リンゴも原生種はコーカサス地方と言われておりBC5000年頃までには栽培化されており奇しくも似たようなスタートを切っている
旧約聖書における『金のリンゴ』とはマルメロを指したものだろうとアメリカの地理学者 Stanley D. Brunnは記述している
ここがマルメロの第一の飛躍であった、マルメロはリンゴが育たないメソポタミア平原の暑い気候で繁茂し大きくリードを広げた

地中海地域にはKydon(キドニア、クレタ島北西の都市)からもたらされ
ホメロスがオデュッセイアで触れているイカタの果樹園のmelonsはマルメロ(ギリシャ語でマルメロはmelon Kydonium)であるという指摘もある
古代ギリシャの植物学者テオプラストスはマルメロをヘスペリデスの黄金のリンゴと同一視し、パリスの審判でアフロディーテに与えられた黄金のリンゴも同じものであるとした
アフロディーテの果樹園にはマルメロが植えられ神聖な象徴とされた
ローマではそれをヴィーナスが引き継いだ
だが、ローマ帝国がヨーロッパに広めたのはリンゴであった
その理由は寒冷なヨーロッパの気候とマルメロの旬の短さにあり
著名な料理人アキピウスは『料理帖』の中でマルメロを保存する際には、傷の無い完熟した果実を選び、茎と葉をそのままハチミツと煮詰めたワインに浸すようにと書いてある
それに対してリンゴは樽に詰めて長く保存ができるため軍糧としての有用性が高かったからである
しかしリンゴの天下は続かなかったリンゴは種では親の特性を継がず、接ぎ木でしか増やせないため
ローマ帝国の崩壊と共に栽培技術が失われていき、完全に失伝せず修道院には残されていたがそこから出ることはなく、接ぎ木は十字軍により中東から持ち込まれフランスでは13世紀、イギリスではルネサンスまで待つことになる
そのためリンゴはクラブアップル化して酸味と渋みの強いものが多くなったと考えられる、それでもサイダーやビネガーの材料としては問題なかった
だいぶ先の話ではあるがアメリカでは味の悪いリンゴは長くサイダー原料と豚の餌として用いられた
ただリンゴの栽培が完全に消えた訳ではなく、中世にもペアメインやコスタード等の品種が存在していたが、その味は現在のクッキングアップルのようなものだった
凋落するリンゴを脇目にマルメロは香りの良さ、酸味とペクチンの多さから消化に良いと言われ、肉料理に添えて、焼いた詰め物、コンポート、ジャムなど贅沢な食卓を賑わせており
また切って酸化させてから砂糖で煮ると果肉が美しい赤になり宮廷にも登場する果物の王であった
7世紀には煮詰めたマルメロと蜂蜜でゼリーを作るレシピが登場し、フランスではcondoignacと呼ばれ、オルレアンを解放したジャンヌ・ダルクは皆にCondoignac d'Orlēansを振舞ったと伝わっている
世界初の商業作家、ノストラダムスもお菓子の本でマルメロのゼリー菓子について書いており、皮にこそ香りがあるから剥かずに使うのがコツと記している
また9世紀に出されたカール大帝による勅令『Capitulare de vills 』に於いて領地で栽培すべき果樹のひとつとして挙げられている
11世紀以降、マルメロを南ヨーロッパから北西部にもたらしたのは十字軍であったといわれる
チョーサーはフランス語coingに由来するcoines の名でマルメロに触れている
現在マルメロを英語ではQuienceと呼ぶが
その語源であるアングロフランス語coingはラテン語のcotoneumはcydoniumの派生であり、この語の語源はギリシャ語のkydōnionである
kydōnionとはつまり、kydonの事であり日本語読みすればキドンであり
キドニア、シドニアとなり kとcの表記ぶれが一見すると無関係に見えるそれぞれの語が同じものを指している事がわかる
マーマレードはマルメロ最後の輝き
1480年、イギリスの公式文書に、1573年にはフランスで消費の記録が現れた
それはポルトガルから運ばれたMalmeladaと呼ばれる薬であった
マルメロの果汁またはピューレと砂糖を煮詰めて作られた羊羹のような菓子でその材料からマルメラーダ、つまりマーマレードである
16世紀、来賓やお祝いの席における典型的な贈り物として人気を博し
イギリス、フランス、北欧の港ではマルメラーダを大量に運ぶ船が流入し、イタリアやスペインも類似品を生産する一大ブームが起きていた
1524年にヘンリー8世にマルメラーダの瓶を送った記録があり、その後も複数回が記録されている
メアリー・スチュアートはマルメラーダが大好物であり、1561年に吐き気を抑えるためにマーマレードを摂った記録がある
英国には中世の頃から中東より硬い砂糖漬けのレモンやビター・オレンジも輸入されており、類似性からそれらもあやかってマーマレードと呼ばれるようになる
マルメラーダ自体はフランスではcontignac、イギリスではquiddonyと呼ばれそのどちらもkydonから採られている事が分かる
その頃リンゴは、園芸技術の発展と品種改良により赤くて甘いリンゴが誕生していた、そんな中である商品が作られていた
材料はリンゴの柔らかい果肉と豚の脂肪にバラ香水から造られた美顔用の化粧クリームで、それはpomatum(ポマード)と呼ばれた
マルメラーダの大成功は大航海時代の植民地開拓者によりマルメロがアフリカや南米に持ち込まれるところまで及び、今でもそれらの地域ではマルメロを料理に使っている
一方で北米では1629年にイギリスから種子を取り寄せてマルメロの栽培がはじまったがイギリスで品種改良を重ねて甘さの増したリンゴの牙城を崩せなかったのだ
1774年に生まれたジョニー・アップルシード、1809年に生まれたヘンダーソン・ルーリングによってアメリカは1850年ごろにはリンゴ大国となった
こうして古代ローマの時と同じく、寒さに強く保存が効きすぐ食べられるリンゴが次の覇者であるアメリカの果実となったのである
さらに大航海時代がマルメロの立場を危ういものとする、南米の植民地から持ち込まれたパイナップルが富の象徴としてヨーロッパ王侯の間でもてはやされ、パイナップルを食卓に出すことに血道をあげるようになったのだ、薪で温めて空気を送り続けて育てるなど贅沢すぎることをしていた
マルメロはリンゴとパイナップルに挟まれピコ太郎状態となった
18世紀半ば、シビルオレンジを運ぶスペインの船が暴風雨によりスコットランドのダンディーへ寄港し、運べなくなった積荷を地元の貿易商であるジャームズ・ケイラーに二束三文で売った
そのままでは売れない苦いオレンジの山を彼の母親がジャムにした
世にいう『オレンジマーマレード』の誕生である
ただ、前述したとおり実は既にレモンやビターオレンジの砂糖漬けもマーマレードと呼んでいたので、コレは天啓や世紀のアイディアだったワケではなかった
先んじて1677年には『オレンジのマルメラーダ』というレシピが存在している
しかし、この一件以降、マーマレードとは柑橘類を使ったジャムとして世の人々の記憶に残る事を意味していた
加勢以多、加世伊多、加世伊多、かせ板
いきなり過ぎて何の事だと思うだろうが、大航海時代の貿易網により日本にもマルメラーダは届いており
高級な贈答品だったマルメラーダは保管用の箱に入れられるようになっており
caixa da marmelada(ポルトガル語でマルメラーダの小箱)と呼ばれ
カイシャ・ダ・マルメラーダのカイシャ・ダ部分が加勢以多となった
熊本藩細川家の秘伝菓子となり幕府のへの献上品としての地位を得て、定着し
4月の献上品としてそれは幕末まで継続された
こちら、なんと今でも販売している
今はマルメロではなくカリンのジャムを使用している
マルメロはやはり歴史の消えてしまった、と思うかもしれないが
実は日本でも九州、長野、秋田、青森、北海道などで今も栽培しており羊羹やケーキなどのお菓子が製造・販売されている
アメリカでの生産は少ないが、2021年の世界マルメロ生産量は697,563トンあり
マルメラーダも現役であり、アフリカや南米では肉料理に使われている
参考にしたサイトや書籍(一部)
カリンとマルメロ(製作中)
https://medicinalfruits.jimdofree.com/
https://urbangreen.or.jp/gardeninginengland
ラルース料理百科事典 (三洋出版貿易株式会社)
中世の森の中で (河出書房新書)
The Medieval Garden Enclosed -The Golden Quince
https://www.metmuseum.org/articles/medieval-garden-enclosed-quince
Medieval History Database Article:The Medieval Quince
http://www.medieval-history.org/index.php?MHDB-Article-Article-The-Medieval-Quince
Simply...a history of the apple
https://newint.org/features/1990/10/05/simply
スキタイの子羊をめぐる冒険
X(旧Twitter)でまとめきれないのでここに書く第四弾
カニ味がする羊は北海道にもいない
第2クールもはじまり、遂にイヅツミが加わる
そんなイヅツミが舌鼓を打ったのがバロメッツ、野菜なのか動物なのか分からないが味はカニという不思議な生物
ゲームにあんまり出てこない(ぷよぷよには居た)し、なんでカニの味なのか
知りたくないだろうか?
※バロメッツが植物みたいに生えてくる羊みたいな伝説上の生物という点は既に御存知とした上で話を進めていきます
有難い事にこの生き物についての専門書が実は和訳されて存在している
博品社から出ている その名も『スキタイの子羊』
ヘンリー・リー、ベルトルト・ラウファー著 尾形希和子、武田雅哉 訳
実はこの本、著者は2人いるのだが共著ではない
The vegetable lamb of Tartary : a curious fable of cotton plant
というヘンリー・リーが書いた本と
The story of the Pinna and the Syrian lamb
というベルトルト・ラウファーが学術誌 Journal of American Folkloreに上げた論文を一つの本にまとめたものである
ヘンリー・リーは19世紀イギリスの動物学者で、彼がバロメッツの正体とその歴史について記したのが前述の本であり
ベルトルト・ラウファーは20世紀アメリカの人類学者であり後述した論文はバロメッツ東洋起源説を解説したものである
バロメッツ解説に於いて、木綿を知らなかった西洋人が植物からウールが採れると勘違いして生まれた説をみるが
これはヘンリー・リーがその著作で展開したものでなぜ、そんなことをしたかと言うと彼は有名なUMAデバンカーだった
そしてなぜ数あるUMAの中でバロメッツが標的にされたかと言うと
バロメッツブームは16~17世紀ヨーロッパで起きており、今まで語られるだけの寓話的存在であったバロメッツだが
そこに中国製のシダの根を加工した偽バロメッツが現れその真偽について学会で激論が繰り広げられる事態に至っていた過去があったからである
この偽バロメッツの素材になったシダが現地語でCau-tich
学名Cibotium barometz(タカワラビ)である

そして、ヘンリー・リーの著作にある西欧人の木綿勘違い説は間違っていて
バロメッツの話そのものが東洋起源であり、貿易と共に中東、西欧へと流布した説話であると解説したのがベルトルト・ラウファーなのである
カニ味の起源
そしてヘンリーの著作の中で引用されたある部分
ジギスムント・フォン・ベルシュタインが記した『モスクワ事情』という本であり彼が父親がタタール王国への外交官であったデメトリアス・ダニエーロヴィチという男から聞いた話としてバロメッツが登場し、その特徴の中に肉のかわりにカニの肉に似た物質があり、という部分から
この記述からあくまで肉質がカニの肉のようだ、がカニ味へと転じたと思われる
ちなみにヘンリーの著作では、シダの根は食用になり、ワックス状でジャガイモみたいな味がすると記されている
追記:スキタイの羊の呼び名であるバロメッツ、この『モスクワ事情』内で地元での名称として記された Borametz の記述が元になっている
貝から生まれる鳥はカニの味がする
バロメッツがカニの味説、ここで終わらせてもいいがもう少し冒険を続けたい
ヘンリーの著作の中で、バロメッツと同じような勘違いの例としてバーナクルが挙げられている
12~17世紀末スコットランド西諸島では営巣地が見つからないガン(顔白鴈、北極圏で営巣していた)は卵ではなく貝から変じる、または貝の中で雛を育てるのだと信じられていた
その名前がバーナクル
中英語「berrnekke」「bernake」を語源とし、意味はフジツボ
今もBarnacle gooseというガンと、Goose barnacleという有茎フジツボに伝説の痕跡を残している
民話の中で語られる内に尾ひれがつき、バーナクルは木から果実のように育ち海に落ちて鳥になるという話まで出てきたのだった

そしてこの貝から生じる鳥の話をバロメッツの類型としてヘンリーは著書で取り上げたのである
貝の方のバーナクル、有茎フジツボとあるが日本でいうカメノテに近く、カメノテは貝のような固着動物だが立派な甲殻類でありその味はカニやエビに似ている
ちなみにこのGoose barnacle、スペインでは高級食材で1ポンドあたり100ドルを超えることもあるという
ユーラシアをめぐった羊の冒険
ヘンリーの著作を通して読むことで、バロメッツの肉質はカニに似ていること
バロメッツには似たようなバーナクルという生き物がいること
バーナクルの貝側は実は甲殻類で食べるとエビやカニっぽい味がするという事実を踏まえることで
バロメッツはカニのような味がするという解釈を引き出せると思う
ちなみにカメノテには貝のような固着生活を行うせいか貝に多いコハク酸も多く含まれていて、これは酸味と苦みに加えて旨味を持つ
また猫の味覚には面白い特徴がふたつあり、ひとつは甘味を感じないこと、もうひとつは新鮮肉食動物でありながら、ある種の酸味が食べ物への嗜好性を強める要素となっていること
キャットフードなどに嗜好性を上げるためコハク酸や他の酸が添加されている
イヅツミがバロメッツを絶賛した理由はこの辺りなのではないだろうか
切り裂きジャックとブドウとキュウリ
Twitterでまとめきれないのでここに書く第三弾
時は1888年、イギリスはロンドンにあるホワイトチャペル、ここまで書けば出てくるのは切り裂きジャックしかいない
フロム・ヘルという切り裂きジャックを題材にした映画で切り裂きジャックが被害者をブドウで釣るシーンがあるのだが
これはdouble eventと呼ばれるJack the Ripperを名乗る葉書が投函された二件の殺人で、被害者と誰かが食料品店でブドウを買ったという話から着想を得たもので
当時、新鮮な果物は裕福でなければ口にできなくなっていた情勢と、それがホワイトチャペルに住む貧民にはとても強い誘惑だったであろう事は想像に易く、切り裂きジャックがどういう人間か想像させるよい演出だと思う
では、なぜ19世紀のイギリスでは果物が高級になったのか?
これは産業革命による影響で、農地がことごとく工場やその関連施設へと置き換わっていき、優先度から果樹などが切り倒されていった結果
安価に入手できていた季節の果物は流通量が減少し価格が高騰したのである
19世紀ロンドンの各労働階級の週ごとの家計簿を比較した研究があり、果実の消費は記録されているがかなり少なく、その中身も主にジャムやドライフルーツだと考えられている
果物の輸入自体は中世からはじまっており、干しブドウ、ナツメヤシ、干しイチジク、オレンジ、レモン等は流通量を増やしながら今に至っている
産業革命は工場という場を生み出すことで、物理的な果実の供給量の減少と、産業と経済を変容させ果物の真空時代を産んだのである
だが全く口にできなかったか、と言うとそういう訳ではなく郊外から汽車によって季節の生鮮食品が入ってくれば価格は下落し、労働者でも口にできるが
通年で購入できるのは富裕層のみだったのである、労働者でも余裕のある家庭でなければ野菜すら口にできていなかった
通年で買えるのか?と言うと買えるのである、そしてここで登場するのがキュウリである
先ほど、季節になれば郊外から入ると言ったが、19世紀ロンドンの生鮮食品の価格変動はすさまじく、その筆頭がキュウリなのである
1821年のコベナント・ガーデン市場での最低額と最高額の差を出した記録によると
ターニップ18倍、レタス7倍、ニンジン6倍、そしてキュウリは21倍である
先日、スーパーで見たらキュウリ1本38円だったので単純に21倍すると798円となる
なぜキュウリなのか、最近だと栄養がないとか口悪く言われているキュウリだが、これほど人々を夢中にした野菜はないと思う
古くは古代エジプトではヘビウリと呼ばれるウリが盛んに栽培され饗し、紀元前30年ごろにはローマ皇帝ティベリウスが移動式の温室で冬にキュウリを育てており
紀元前から人類はこの瑞々しい野菜に夢中だったのだ
そして、ローマに続いてパクスを敷いたイギリスもキュウリに夢中になった
だが、ブリタニアがキュウリにたどり着くまでの道もまた長いものなのだ
チューリップ、パイナップル、キュウリ
最早、切り裂きジャックどころの話ではないのだが、この3つとこの順番が大事なのである
17世紀末のオランダのチューリップバブルに狂奔したオランダ人園芸家によって生まれた技術が温室で
1513年にスペインに持ち込まれたパイナップルが南米植民地の富と支配の象徴として広まり
王侯貴族の間で自分の饗宴にパイナップルを出すことがステータスとなり、その栽培に血道を上げるようになった
薪で温めた空気を送り続けて育てたらしく、まさに王侯貴族の道楽だった
18世紀後半、ジョージ3世のウィンザー王室庭園には、パイナップルの温室であるパイナリー、ブドウの温室であるヴァイナリー、オレンジの温室であるオランジェリーが作られたが、まだ王族の為のものであり、彼らの食卓を賑わせる為のものだった
それが変わったのが19世紀のイギリスで発明されたパイナップル・ピットと呼ばれる馬糞の発酵による熱で温度を保つ温室で、寒冷地でも安定して南国の作物が育てられる環境が生まれた
ちなみに、今でも当時のパイナップル・ピットで作られた温室パイナップルは存在し1玉が140万円するそうである
そして温室の技術は1851年の万博での水晶宮へと繋がり、このノウハウから富裕層向けの温室が生まれ普及し、そこでこぞって栽培されたものがキュウリであった
当時、キュウリのサンドイッチは宮廷でのパイナップルと同じものだったのである
イギリスのアフターヌーンティーで今でも出されるサンドイッチがキューカンバーサンドイッチなのはその名残なのである
ちなみに、現在のイギリスには30セント・メリー・アクスという高層ビルがあってあだ名にガーキン(ピクルスに使うキュウリ)、クリスタル・ファルス(クリスタル・パレスのもじり)というものがある
アニメ史上最も安いロボット(900円)
Youtubeで12月3日から配信が開始されたロボットアニメ、『OBSOLETE』
ボトムズが三度の飯と同じぐらい好きな自分にはクリティカルヒットだったのだが
設定が1話だけだと分かりにくいのと、何故アニメ史上最安値のロボットなのか
基礎のキぐらいを解説したいと思う
2014年に飛来した宇宙人『ペドラー(行商人)』、彼らは人類に対して交易のみを要求してきた
その内容は石灰岩1000㎏に対して彼らの技術で作られた物を交換するというもの
彼らとの交易によって現れたのはエグゾフレームと呼ばれる意識制御型の二足歩行ロボットだった
なぜ石灰岩1000kgなのか
日本での価格においても石灰岩1000㎏の価格は約900円ほど、遠い宇宙から来て要求するには随分と控え目に思える
石灰岩とはつまり、カルシウム(Ca)を50%以上含む堆積岩である
地球ではありふれた物質であるCaだが、宇宙で探すとなると大変な物質で太陽大気からでは10の-1乗という比率になる、惑星で探そうとしてもガス惑星や火星のような水のない地球型惑星では惑星が誕生してしばらくするとCaは宇宙空間へと飛散してしまう
地球のように大量の水、海がある惑星でないとまとまった量が存在しない物質なのだ
もし、ペドラーが人類に似た炭素ベースの生物ならば骨格の形成や神経伝達、筋肉の収縮などに欠かせない物質だと考えることができる
どうして交易品がエグゾフレームなのか
これは非常にシンプルな答えである、この便利なロボットを与えれば、交易相手が必死になって石灰岩を集めてくれるし、何らかの理由で大規模な採掘が制限されても小規模な交易相手は渡したエグゾフレームを使って働きアリのように交易を続けてくれるのだ
そしてペドラーの想定内と思われる形で人類世界は動きだしていく
2015年、エグゾフレームは発展途上国において急速に広がりはじめ
先進国は自国産業の保護を目的としたエグゾフレームの輸入・使用を制限するザンクト・ガレン協定(多分 東スイスにある都市名)を締結
一方で非加盟国では盛んな利用が進められ、軍事利用も___
というのが、1話視聴以前にある世界の流れである
1話は時系列的にはエグゾフレームによる軍拡が広がり、大国もその流れに逆らえなくなった2023年からはじまり、1話へと続く軍事利用とその広がりを2話以降のエピソードで後追いしていく形になっている
タイトルであるOBSOLETEは時代遅れ、と言うような意味で、エグゾフレームによって既存の経済や価値観が破壊されていく世界の物語がこれからどのように描かれるのか楽しみである
OBSOLETE 公式サイト
遠い未来、宇宙の何処かの話
Obsidianが開発したRPG、The Outer world(アウターワールドはフランス製のADVなのだがこの名称は日本だけである)を購入してクリアしたので感想を
まぁ、クセとバグのあるゲームには定評のあるチームの作品であり、今作も中々に厳しめのバグが存在していた(パッチ1.2が配布され解消された)
すごく雑に説明するとボダランみたいな見た目のFallout(InterPlay製)である
戦闘の調整は大味、アイテムの種類も少ない、スキンや衣装のガチャもないオールドスクールなゲームである
ただ、最近のRPGの流れに一石を投じる一作だと思う
最近のRPGにあるシステム要素と言えばオープンワールド、たくさんのアイテム、素材回収と作成、エンドコンテンツ・・・
実の所、これらの要素はスペック向上によるシンプルな拡大理論の産物と言えなくもない
これらの要素を入れればそれに比例してプレイ時間は延長していく(無視して遊ぶ人もいると思うが)
ゲーム好きのアニメ監督、押井守は著書『注文の多い傭兵たち』にてRPGとはシステムであると語っている
本文がかなり長いので意訳で申し訳ないが、RPG=システムであり、システムとはゲーム内のレベルアップ、新しい装備、それを試せる敵のサイクルであり超人願望の充足だと、GTAのようなゲームがシステムを拡張していったRPGだと言えると思う、もっと言えばFPSだってシステム型RPGとして捉える事ができる
そして、物語とシステムの相性は悪いとも
物語上における動機とプレイヤーの動機のアンビバレンツが起きる
RPGで、旅の目的など気にせず敵を狩り、アイテムを漁る内に自分が何をするのか忘れてしまうというのはよくある事だと思う
ダイアログを見れば、次の目的は分かるのだがそれは自分とは乖離していて、ゲームを進める為の要素でしかなくなっていて
あと少しでクリアなんだけどそのまま放置してしまった、という体験をした人も多少は居るのではないだろうか
これが、物語とシステムの乖離によるものだと押井守は分析している
乖離の差が小さい時、すなわちゲーム開始から序盤におけるRPGの面白さを、押井守はドラクエで例えて どうのつるぎの頃、と表現している
ただ、この本が書かれたのは90年代初頭であり、これには回答としてバイオショックが挙げられる、ゲームでしか出来ない素晴らしい物語体験を生み出し、GTAと同じく多くのゲームに影響を与えた作品である
(この本が出た2000年初頭、ゲームから離れていた押井守がFallout4にハマって連載記事を書くのだから世の中は分からない)
スペック向上により、かつては困難だった他ジャンル要素のミキシングのような作品を生み出す事が可能になった
あくまで個人の考えだが、システムと物語の噛み合わなさを更に分解していくと時間こそが最大の敵なのではないかと感じられる
長時間 遊べるように作るのと、物語を感じられるように作ると言う部分が乖離しているのではないだろうか
時間による被害を受けるものとして記憶、ひいては感動だ
どんなに素晴らしい物語であっても時間による分断には逆らう事はできない
会話であっても、テンポが少しズレただけで受け取る感情が変わってしまうのは
誰でも体験するものだと思う
120分の名作映画を1時間ずつに分けて1週間の間隔を空けて見れば全く感動しなくはないが体験としては鈍ったものになるだろう
受け手側が時間を管理できる芸術媒体となると、書物ぐらいだろうか
ひどく話が逸れたが、ここまでの文章もThe Outer Worldの評価を理解してもらうのに必要だったのだ
あくまで個人の感想だが、よく出来た小説みたいに期待しながらページをめくるような楽しさがあった、システムが物語を邪魔しないように注意している印象を受けた、アイテム数が少ないのも多分、ゲームデザインと作品世界の設定を重視してのものではないだろうか
(同じ効果のアイテムが各企業ごとに存在し、防具のデザインも同じで企業のイメージカラーの差でしかない)
どの人物も味付けと表現がよく、世界観が理解できていくのと同時に移動範囲が広がり、出てくる敵も登場人物もクセが強くなってくる
プレイヤーがゲームを進めるのに合わせて、物語が複雑さを増していく
ただ、一般的な物語の大枠が複雑になるのではなく、出てくる人間達の背景や立場を含めたバックストーリーの量が多くなるという意味での複雑さである
仲間になるキャラクターもストーリーが進むと情報量が増えて、最初の印象とは違った人物像を植え付けられていると思う、理解が進みディティールが深くなるというゲームでは難しかったアプローチに挑んでいる
序盤ではよくあるパターンの人物に見えたキャラクターが、実はトンでもない奴だと分かったり、トンでもない奴に思えていた人物がとても高潔だったりする世界なのだ
それらが挿入されるムービーや、強制イベントではなく、会話の中や訪れた場所で体験の形で与えられる
(このゲームにもムービーシーンはあるがあくまでプレイ画面内で再現しにくいものの代替手段であり、演出としては控え目なものである)
プレイヤーと物語を乖離させるのではなく、不変の視点で与えられ続ける物語世界としてのRPG、純粋なRPGシステムでありながら物語との両立を目指した野心作であり真摯な回答だと感じた
既存の作品とは違う設計思想の下に作られながら、長らく望まれ続けたRPGに向かう第一歩、バイオショックやGTAみたいに歴史に大きく名は残さないかもしれないが振り返った時に始点のひとつとして数えられるであろう作品である
ただ、そこまで注意して作られているからこそ、続きものの第一巻を読み終えたような気分になり、もう少しこの世界を体験したいと思った
そう思う人が少なくないようで、DLCの開発が決定しており、物語は延長する
そして何よりObsidianの姿勢と生み出したデザイン思想がRPGというジャンルに新しい考え方を広げてくれる事を願う
マリオ・マッシモ・デ・カーロという男 その2
NYの古書商と美術史家の大家にニセモノを掴ませて大金を得たデ・カーロ
そのカネでイタリアの政治家MarcelloDell'Utri(ベルルスコーニの管財人、マフィアを政権に引き込んだ張本人)に取り入り古書がたんまりの図書館の館長に就任し、自主的ワゴンセールで大量の古書をゲット!が大体のあらすじ
さらに近くの修道院、Montecassio修道院やフィレンツェやバチカンの図書館からも貴重な古書を盗み出していた
世界有数の古書を保管するパドヴァ大学も何度もデジタル保存のための貸し出しを要求されていたが、怪しんで拒否していた(エライ)
デ・カーロの恐ろしい所は、『星界の報告』の偽造はスタートであり、ジロラミーニ図書館からの収奪も飛躍の為の一歩だと言う事である
彼は奪った古書の内、価値のあるものオークショニアへ持ち込み、そうでないものは材料として使い高額の付く古書のフェイクを作る事が目的だったのだ
ガリレオのフェイクのように、また売るのか?いや違う、売るのだが、今度は本物を売るのだ
その手口は、まずイタリア文化省名誉顧問・ジロラミーニ図書館館長の地位で狙う古書のある施設を訪れて資料の閲覧もしくは貸し出しを願いでる、そして偽物とすり替えるというものであった
就任から1年余りなのに、イタリア中を荒らしまくっていたのだ信じられないスピードである
彼の犯行の供述を聞いた世界中の古書商や博物館、図書館、修道院など古書を保管していた施設は大パニックである、自分たちが保管する本物が偽物にすり替えられていたかもしれないと分かり、確認作業が行われたハズである
昨年、バチカンの図書館で盗まれていたコロンブスの手紙が回収されたというニュースがあり、匿名でのすり替えの告発があり、NYの古書商から120万ドルでそれを買った亡くなった個人コレクターから返却されたそうである
正直、被害額が240~300万ユーロ、とイタリアでは発表されているが、実際には氷山の一角であろうと思われる、何故ならデ・カーロは2003年からフェイク制作を、2006年から学者として世界中のイベントや研究会などにも参加していたのだ
彼は最新の研究や報告をフェイク作成に活かしていたのである
デ・カーロは大学を中退しているのだが、ブエノスアイレスにある私的機関にガリレオの銅板画を寄付することで名誉教授職を得ていた
これだけの事をやったデ・カーロだが、逮捕されたが裁判の結果は自宅での禁固7年というものであり
自宅軟禁中の2016年に万引きで捕まっていたり、先に述べたNHKのドキュメンタリーでもニッコニコでインタビューに答えている
実は今もFBIと協力して、偽物とすり替えた本物を探したいなどと司法取引を持ち掛けてたり、星界の報告の偽造を暴いたWildingを堂々と脅迫するなど、全く反省していない
彼のバックにある、世にいうブラックマーケットと呼ばれるような盗品や偽造品を取り扱うマーケットの存在や、当時首相であったベルルスコーニと仲がよかったマフィアとの関係も深い、と言われている
なぜマリオ・マッシモ・デ・カーロだけアルファベット表記じゃないのか察して欲しい
そして、デ・カーロはインタビューで『本の価値は、内容であり、その思考はフェイクではない』と言うような自己弁護を言っているのだが
甘ったれたインテリ崩れのマフィアの犬がおこがましい、言わせてもらえれば所詮は可否をつける教師が居なければ自分の価値を証明できない学生止まりなのだ
Horstの手口を知った上で、彼が検査しない部分は作りが甘くなっていた、結果としてHorstは騙せたがWildingはダメだったという事実がそれを裏付けている
ただ、5年という期間はあまりにも長すぎた、デ・カーロは十分に力を付け、欲ボケした古書商と美術史家を焼くだけだった炎はヨーロッパ中を焼いた
目に見えない炎は今も燃え続けているかもしれない
2015年のYork Antiquarian Book seminar(世界最古の古書籍団体による大会)では、デ・カーロによる偽書の見分け方のレクチャーや、注意すべき書籍の特徴などのセミナーが行われ
ILAB(国際古書籍商連盟)によるBlackMuseum(盗難品の目録)のデータベース作成と共有が掲げられていたのだが、これは実行には移っていない
最後にデ・カーロの言葉を一つ
“I want to do for books what he did for checks,”
私は彼が小切手でやった事を本でやりたかった
これは映画『Catch me if you can』の実在するモデル、カール・フランク・アバグネイルJr.のように自分もなりたかったと言うようなもので
フェイク売ってクソ儲けて有名になりたかったわ~俺もな~と言うようなナメた内容で単にムカついたので載せた