Twitterでまとめきれないのでここに書く第三弾
時は1888年、イギリスはロンドンにあるホワイトチャペル、ここまで書けば出てくるのは切り裂きジャックしかいない
フロム・ヘルという切り裂きジャックを題材にした映画で切り裂きジャックが被害者をブドウで釣るシーンがあるのだが
これはdouble eventと呼ばれるJack the Ripperを名乗る葉書が投函された二件の殺人で、被害者と誰かが食料品店でブドウを買ったという話から着想を得たもので
当時、新鮮な果物は裕福でなければ口にできなくなっていた情勢と、それがホワイトチャペルに住む貧民にはとても強い誘惑だったであろう事は想像に易く、切り裂きジャックがどういう人間か想像させるよい演出だと思う
では、なぜ19世紀のイギリスでは果物が高級になったのか?
これは産業革命による影響で、農地がことごとく工場やその関連施設へと置き換わっていき、優先度から果樹などが切り倒されていった結果
安価に入手できていた季節の果物は流通量が減少し価格が高騰したのである
19世紀ロンドンの各労働階級の週ごとの家計簿を比較した研究があり、果実の消費は記録されているがかなり少なく、その中身も主にジャムやドライフルーツだと考えられている
果物の輸入自体は中世からはじまっており、干しブドウ、ナツメヤシ、干しイチジク、オレンジ、レモン等は流通量を増やしながら今に至っている
産業革命は工場という場を生み出すことで、物理的な果実の供給量の減少と、産業と経済を変容させ果物の真空時代を産んだのである
だが全く口にできなかったか、と言うとそういう訳ではなく郊外から汽車によって季節の生鮮食品が入ってくれば価格は下落し、労働者でも口にできるが
通年で購入できるのは富裕層のみだったのである、労働者でも余裕のある家庭でなければ野菜すら口にできていなかった
通年で買えるのか?と言うと買えるのである、そしてここで登場するのがキュウリである
先ほど、季節になれば郊外から入ると言ったが、19世紀ロンドンの生鮮食品の価格変動はすさまじく、その筆頭がキュウリなのである
1821年のコベナント・ガーデン市場での最低額と最高額の差を出した記録によると
ターニップ18倍、レタス7倍、ニンジン6倍、そしてキュウリは21倍である
先日、スーパーで見たらキュウリ1本38円だったので単純に21倍すると798円となる
なぜキュウリなのか、最近だと栄養がないとか口悪く言われているキュウリだが、これほど人々を夢中にした野菜はないと思う
古くは古代エジプトではヘビウリと呼ばれるウリが盛んに栽培され饗し、紀元前30年ごろにはローマ皇帝ティベリウスが移動式の温室で冬にキュウリを育てており
紀元前から人類はこの瑞々しい野菜に夢中だったのだ
そして、ローマに続いてパクスを敷いたイギリスもキュウリに夢中になった
だが、ブリタニアがキュウリにたどり着くまでの道もまた長いものなのだ
チューリップ、パイナップル、キュウリ
最早、切り裂きジャックどころの話ではないのだが、この3つとこの順番が大事なのである
17世紀末のオランダのチューリップバブルに狂奔したオランダ人園芸家によって生まれた技術が温室で
1513年にスペインに持ち込まれたパイナップルが南米植民地の富と支配の象徴として広まり
王侯貴族の間で自分の饗宴にパイナップルを出すことがステータスとなり、その栽培に血道を上げるようになった
薪で温めた空気を送り続けて育てたらしく、まさに王侯貴族の道楽だった
18世紀後半、ジョージ3世のウィンザー王室庭園には、パイナップルの温室であるパイナリー、ブドウの温室であるヴァイナリー、オレンジの温室であるオランジェリーが作られたが、まだ王族の為のものであり、彼らの食卓を賑わせる為のものだった
それが変わったのが19世紀のイギリスで発明されたパイナップル・ピットと呼ばれる馬糞の発酵による熱で温度を保つ温室で、寒冷地でも安定して南国の作物が育てられる環境が生まれた
ちなみに、今でも当時のパイナップル・ピットで作られた温室パイナップルは存在し1玉が140万円するそうである
そして温室の技術は1851年の万博での水晶宮へと繋がり、このノウハウから富裕層向けの温室が生まれ普及し、そこでこぞって栽培されたものがキュウリであった
当時、キュウリのサンドイッチは宮廷でのパイナップルと同じものだったのである
イギリスのアフターヌーンティーで今でも出されるサンドイッチがキューカンバーサンドイッチなのはその名残なのである
ちなみに、現在のイギリスには30セント・メリー・アクスという高層ビルがあってあだ名にガーキン(ピクルスに使うキュウリ)、クリスタル・ファルス(クリスタル・パレスのもじり)というものがある