糠床ブログ

不定期

騎士道の終わりはいつだったのか

 

 

ドンキホーテググると、サジェストが驚安の殿堂で染まる

 

 ドン・キホーテは騎士道物語の読みすぎで物語と現実との区別がつかなくなった男の話であり、出版は1605年で、この本でも騎士道物語は明確にフィクションであり、昔話の扱いです

 騎士道物語は16世紀が最盛期であり、ブームは終わっているがみんな設定は知っているという時代にこの物語は書かれたワケです

 

 物語としては16世紀まで続いた騎士道ですが、実際のおわりのはじまりは13世紀ごろからでした

 ヒッティーンの敗走(1187年)、ラ・マンスーラの戦い(1250年)などは騎士団による突撃を盲信した結果の分散撃破であり、後世のクレシー、アジャンクールと教訓は活かされませんでした

 また攻囲戦や城砦戦に於いては騎士が大きな役割を果たさなかった(これは攻城兵器の開発による影響が大きい)

 

 騎士の強さは優れたフィジカルと高い防御力、優れた武器の扱いであり、それはまず間違いありません、彼らが騎士となる為に支払うコストは低くなく、容易い道ではないことは保証します

 そして上記の2つの戦いでの敗因は、彼らが騎士だった事です、個人戦闘技術に優れたエリートだからこそ、侮り、戦術を無視し、歩みを整えなかったから彼らはそうでなかった相手に倒されていきました

 

 そして、彼らを蹂躙した異国の戦士のみならず、自国の戦士も彼らの居場所を奪っていく事になっていきます

 13世紀の北フランスの詩人 ギヨ・デ・プロヴァン(Guiot de Provins)は騎士の頽落を批判するギヨの聖書(La Bible Guiot)にて、人がもはや騎士に敬意を払わぬこと、やがて弩の射手や兵器を操作する連中が彼らよりも評価されるであろうと予感し、憤慨するという記述がみられます

 しかし、この鋭い指摘があった時点で戦争での勝敗は騎士ではない戦争のスペシャリスト達の手に渡っていたのです

 戦時のみとはいえ給料制の兵士に志願する者は多く、家を継げない農民の次男坊たちは優れた歩兵や射撃兵に、騎士の次男坊たちは職業剣士(Kämpher)として参加していました、戦争は、彼らのような傭兵集団が陣を作り、戦術を用い、激しく争う場所へと変貌していきました

 そんな中で頭角を現すチャンスを失い腕試しをしあう騎士達の姿は騎士道物語とは全く違う印象を抱くでしょう、彼らは自分たちが活躍できる試合という戦場を用意したのでした、糊口を凌ぐための賭け試合に近かった馬上試合は武力階級である彼らを抱えることでパトロンである王族や貴族の権勢を示す場となりました

 馬上試合のブームは二回あり、最初は12~13世紀、次は15~16世紀でした

 そして宮廷入りした騎士達はその精神性や宮廷風愛と呼ばれる文化的側面を押し出していき、下級貴族化していきます、16世紀の騎士位者は小規模な農園経営者か名誉職だけとなっていました

 戦争の主役は火砲であり、歩兵による密集隊形による戦い方へと移りました

 しかし戦場では姿を消しても、白銀の鎧と馬、鍛錬で得た恐るべき力を持つ信仰の戦士は象徴的、神秘的な存在として物語に登場し続けたのです、誰もが知っていて、それを茶化した小説が書けるぐらいに

 

 テリー・ギリアム監督作品  

ドン・キホーテを殺した男 予告編

youtu.be

 

参考にしたもの

ジャン・フロリ著 新倉俊一訳 中世フランスの騎士

伊東泰治 宮廷騎士文学と宮廷の生活形式

ホイジンガ 中世の秋