糠床ブログ

不定期

タクアン食べきれてますか?

一人暮らしだと一本丸々のタクアンを食べきるのが厳しいです・・・

(次点:レタス)

 

白米とタクアンはセットで

その流行は江戸時代中期にはじまります、江戸に集められた年貢米は副産物として糠を生み出しました

一方で、白米を常食する江戸の人間にはビタミンB1欠乏による江戸患い(脚気)が起きていました

庶民の食生活の観察から糠が脚気に効くことの発見

その中で生まれたのが干し大根の糠漬け→干し沢庵が誕生

そこに合わせて、栽培に適した関東ローム層により生産を広げた練馬大根が重なり

江戸は沢庵の一大生産地となったのです、それは昭和初期まで続き

 他にも御器所(ごきそ)、伊勢、阿波などが主生産地であったそうです

 

タクアン貿易

望郷~夢見るたくわん

広告に見る「タクワン貿易」と日本文化

http://www.jomm.jp/newsletter/tayori25_01.html

 

 「タクワン貿易」―それは、日本人移民が単に「たくわん」を日本から輸入した・・・というだけの話ではありません。もともとは、仲間同士で食材や調味料などを細々と日本から送ってもらっていたことに端を発し、やがてそれを専門に扱う店や貿易商が現れ、事業として発展していきました。最初は、醤油や味噌、酢をはじめ、保存のきく調味料や乾物などが中心でしたが、やはり日本人の食卓とは切っても切れないたくわんまで輸入していたことから、いつしか「タクワン貿易」と呼ばれるようになったのです。当時の日本人移民の、日本食に対する憧れや望郷の気持ちがたくわんに込められているのかもしれません。 (上記HPより引用)

 タクアンの缶詰と言うと自衛隊の戦闘食糧Ⅰ型が有名ですが、その源流はこのタクアン貿易で誕生したもので、他にも豆腐、かまぼこ の缶詰が確認されています

 

軍とタクアンの関係は古くからあり、それがタクアンに新しい風を起こします

 

バリボリと音を立てるタクアン

タクアンと言えば、黄色くて、甘塩っぱくて、パリパリしてて・・・でも、変わらない味の中身が変わっているの知ってました?

 

本来のタクアンは、干した大根を塩と糠に漬けたもので、糠に棲む枯草菌の産出物によって黄色から褐色に染まり、糠の麴菌の活動によりデンプンの糖化が起きて甘塩っぱい味になったもの、でも食感はしなっとしたものでした

 

パリッとした食感が加わったのは、昭和15年頃、軍納タクアンに設定されたマル公価格に合わせて安価なタクアンを作ろうと中野、練馬の業者が研究して生み出した塩押しタクアン(干し大根の代わりに大根の塩漬けを使ったもの)が誕生してからです

このタクアンは東京タクアンと呼ばれ、その食感が受け日本全国に広まっていきました

 

他にもコスト対策の中で生み出されたアイディアは多く、塩ではなく砂糖で水分を抜く糖しぼり、糠ではなく小麦のふすまで漬ける、着色料で黄色く染める、甘さを甘味料で加えるなどの現在でも続くタクアン製造のイロハが生まれたのでした

 

タクアンの成分表示やパッケージに上記の言葉があるのを見つけて、その背景にある時代の流れと食べる人の元に届けようと努力した人々に思いを馳せてみては如何でしょうか?

 

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参考

中部漬物協会 創立10周年記念シンポジウム

幻の大ヒット商品 信州早漬たくあんを語る

www.tsukemono-japan.org/symposium/2012/1121symposium.pdf
 
 
 

 

たくあん漬けの歴史 | 野崎漬物株式会社

 

統計・資料:漬物ポータルサイト:全日本漬物協同組合連合会

 

国立国会図書館デジタルコレクション - 軍隊炊事参考書