糠床ブログ

不定期

武士は食わねど高楊枝、腰には倭杖

 

明治10年(1877年・丁丑)三

三月十八日より、榊原鍵吉が倭杖(やまとづえ)を売り出す。(読売新聞317320

http://blog.livedoor.jp/misemono/archives/52141496.html

 

この見世物興行や広告をまとめたブログ(見世物興行年表)、非常に面白くて閲覧していたのですが

その中でこの倭杖なるものを見つけ少し渉猟してみました

 

倭杖 廃刀令で刀を差せなくなって腰がさみしくなった旧士族の要望に剣客 榊原健吉が考案した樫材を平六角に切って 太刀もぎ と言う小さな鉤をつけもの。焼印で官許、倭杖、榊原健吉と入れた。(図解・隠し武器百科/名和弓雄)

 

木刀(乳切木や六角棒に近いかも)に武器を鹹め取る鉤が付いた十手の親分みたいなものみたいです

 

榊原健吉は廃刀令で行き場を失った剣客たちを集めて撃剣興行を行い、剣道に貢献した人物として2003年に全日本剣道連盟の剣道殿堂に顕彰されています

最後の剣客と謳われ、天覧試合に於いて胴田貫で明珍の兜を割った人です

 

倭杖の宣伝用のビラ(最初のリンクにあります)を見ると、一般の人に向けてのセールスがきっちりされており、自衛用武器として広めることで運用方法である剣術を生き残らせようとしていた剣客の苦心(実際、生活は厳しかったようです)が感じられる気がします

 

他にも畳んだ扇子型に木材を加工した頑固扇(手慣らしの一種)というものも販売していたようです

 

この話は榊原健吉の法名で終わりにしたいと思います

義光院杖山倭翁居士

倭杖を差して最後の剣客は去ったのでした

 

f:id:Nukad-Ichirou:20180204143545p:plain

  

 

関連して

直心影流関係資料 - 100ren ページ! - 直心影流百錬会 倭杖 榊原健吉作

https://100ren.jimdo.com/%E4%BA%A4%E6%B5%81%E5%9B%A3%E4%BD%93-%E9%96%A2%E4%BF%82%E8%B3%87%E6%96%99%E4%BB%96/%E7%9B%B4%E5%BF%83%E5%BD%B1%E6%B5%81%E9%96%A2%E4%BF%82%E8%B3%87%E6%96%99/

 

剣術の歴史・撃剣の誕生